高卒資格Diploma誕生のいきさつ

1998年、ある父子が事務所を訪ねて来ました。
話を聞いてみると、子どもが通っている学校は高校野球でも有名な某私立の進学校でした。本人自身野球部員ですが、監督とのそりが合わず現在は学校を休学していること。またゴルフ留学を希望していることが分かりました。

私は、彼の16歳という年齢では、一から始めるゴルフよりも、中学時代ポニーリーグで2回も日本代表に選出された経歴を生かした野球留学の方が良いのでは、と考えました。
本人の英語力が、どのくらいあるか確認するため、質問をしました。
結果は残念ながら留学は難しい、と判断しました。

しかし、本人たちの熱意と、生徒の未来に可能性を感じた私はどうしても彼を留学させてやりたいと思い、彼の得意とする野球を活かす事のできる学校を
探し始めました。そして、野球の盛んなフロリダ州のTampaに拠点を定め、当社のコーディネーターに依頼し、野球の盛んなカトリック系の学校から入学許可を得ました。

1999年1月、無事彼をアメリカへ送り出すことが出来ました。
しかし彼が学校に通いだして、2ヶ月経った3月の始め頃、Tampaの学校の担当者から、彼を引き取って欲しいと当社へ連絡が入りました。野球の実力は優秀だが、授業についていけないことが理由でした。
このまま日本に戻すことは、彼のためにはならないと思い新たに彼を受け入れてくれる学校を探すことに決めました。

そのとき、彼は16歳、日本で言えば高校1年を終了する年齢でした。
しかし、新しい学校に変わると、再度、高校1年からスタートしなければなりません。彼のこれまでの体験を無駄にさせず、高校2年生としてスタートさせたいと考えました。

そこで彼の出身高校に掛け合い、彼が2ヶ月在籍したこと、休学中の5ヶ月の間に2度アメリカへ旅行し見聞を広めたこと、野球に打ち込んだことなどを単位として認めてくれるように願い出て、承諾してもらいました。
その足で、私は、即アメリカへ飛び立ちました。フロリダの高校へも彼が今まで出席した授業を単位とし認めてくれるよう話を持ちかけました。この高校は彼に試験を受けさせ、合格点に達するまでチャンスを与え、単位を取得するまで指導してくれました。

彼はこの単位と私立高校の単位を合わせて、その年の8月から、テキサス州で高校2年生として留学を継続させ、何の問題も無く同校を卒業しました。

 

私は、その後も事情があって学校へ行けなくなった生徒や、高校を中退した生徒と出会い彼らを無事留学させていました。
そして、多くの経験を通して、やる気のある生徒には何度でもチャンスを与える、何らかの社会経験も評価の対象となるというアメリカの教育制度の柔軟な考え方、システムに共感しました。

実際、私自信も基本的にそういう考えを持っていたということと、そういう私の姿勢が、私立高校を説得できたということから(その学校の進取に富んだ
考え方にも感謝します)このアメリカの教育システムを日本に導入したいと考えるようになりました。色々な調査を始め、2001年7月よりフロリダ州にある
学校と提携をし、Diplomaを開始しました。

何人かの生徒を卒業させながら、日本の一般の人、また、世界中の人にこのようなチャンスを与えられるようなシステムを当社で作れないかと思い,フロリダ在住のHorst・Odparlikと議論を重ね、フロリダの教育委員会を訪ねて、我々独自のシステムを持ったAIA(現在はAHAに移行しています)という
フロリダ州認可の学校が誕生することになりました。

システムを、日本に導入するにあたり、25年来フレンズ・アブロードの顧問をしていた、名古屋の金城学院大学の教授であるSanford・
Taborn氏が、このプログラムの合法性や、多くの人にチャンスを与えられるという良さに共感して、アジア校の校長を引き受けてくれました。

そして、Diplomaが本格的にスタートすることになりました。

 

貴方が自分なりに一生懸命に生きてきたのであれば高校卒業資格を取得する資格はあるのです。
学歴であなた自身が判断されてしまうことは本当にもったいないこと。ただしこれが現実なのです。

高校卒業資格は夢達成のためのゴールではない。あくまでも一つの過程です。     
その一つの過程で、時間やエネルギーを無駄にしてはいけません。
勝負は卒業資格を取得した後のそれぞれの夢や目標の実現にあるのです。
小さな夢でもその実現のために自分の時間やすべてを集中して使って下さい。

高卒資格誕生のいきさつ Part2 へつづく
 

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